弁護士コラム

浅はかな無罪判決批判 その2

浅はかな無罪判決批判 その1 – 村林法律特許事務所の続きのコラムである。

裁判長だけを批判することについて

無罪判決に反対する署名や訴追請求とやらは、高裁の裁判長を対象として槍玉に挙がっている。刑事の控訴審は裁判官3人の合議体によるが、陪席裁判官の名を挙げて批判する風潮はみられない。
これは、判決の結論や理由は裁判長が最終決定しているという思いこみに基づくものではないかと思う。世間のイメージでは、裁判長=会社の社長のようなイメージなのではないだろうか。

当然ながら誤りである。まず、裁判の合議(3人の裁判官が議論して結論等を決めること)においては、裁判長も陪席裁判官も1人1票であるから、裁判長の意見が必ずしも通るとは限らない。またまた、当地民事部部総括の竹内浩史裁判官の著書『「裁判官の良心」とはなにか』より引用する。

「しかし、合議(評議)の評決では、2対1で裁判長が両陪席に敗れることもある。実際には、ほとんどの事件では、合議を重ねた結果、最大公約数の理由付けで結論については全員一致が成立しているので、裁判長の意見と同じであることは多いが、それにしても、判決は裁判長だけのものではない。現に私も、大阪高裁では裁判長が少数意見という例も経験したし、大分地裁では被疑者の勾留に対する準抗告を認容するかどうかで意見が割れ、長時間にわたった合議が深夜に至っても成立しないので、評決を取り、2対1で私が敗れた形で棄却決定をした経験もある。」(p124~125)

今回の無罪判決も、裁判長は反対していた可能性も(程度はともかく)ある。
また、裁判官3人全員一致の結論であるという前提認識であったとしても、それならば裁判長だけを批判するのは変であり、批判するなら裁判官3人を批判するのが筋であろう。

いずれにしても、物事をよく知らずに浅はかな行動に出ているのだろうといった印象しか湧かない。