弁護士コラム

学校のいじめ対応に関する問題2(教職員向け)

学校のいじめ対応に関する問題1(教職員向け) – 村林法律特許事務所 (murabayashi-ltm.jp)

前回の記事で挙げた、関係生徒らによる①から⑨の行為が、いじめ防止対策推進法上の「いじめ」に当たるか否かという問⑴に対して、解答・解説を述べる。なお、解答・解説といっても、ある1つの立場に依拠する私の見解に過ぎない。法律解釈・適用の問題で、絶対的な正解などはない。

結論、①から⑨まで全て「いじめ」に当たると考える。

いじめ防止対策推進法上の「いじめ」とは、「児童等に対して、該当児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」をいう。

各事例の生徒らは、全て同じ学校の同級生という設定なので、「該当児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う」という点は問題はない。生徒らの行為が、「心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」かどうかが問題になる。心理的物理的影響、心身の苦痛がどうのこうのと書かれているが、要するに、受け手が苦痛を感じた、すなわち、主観的に気に入らなければ全て「いじめ」だというのである。

被害生徒の受けた苦痛の程度、行為が一方的な加害であったか、相手に苦痛を与える意図があったか、さらにいえば、行為が客観的にみて非難されるべきものか、といった点は、「いじめ」の判断を左右しない。そのようなことは、関係なく被害生徒の主観で「いじめ」かどうかが決まる。

各事例を見ていこう。

(事例1)

教員の目の届かないところで発生しがちな、現代のネットいじめの事案である。周囲の生徒がいじめツイートに「いいね」するさまは、観衆や傍観者を含めたいじめの四層構造が、現代的なネット社会の特徴を備えて顕在化したものといえる。
教育現場としても、この事案を認知すれば、すぐにいじめを疑い、介入すべきだという感覚を持つのではないか。

Aは、自身を中傷するツイートを見てショックを受けたのだから、心身の苦痛を感じているのは明らかである。
Aがツイートを見れる状態であったことを前提に、Bがそのようなツイートをすること(①)は、インターネットを通じて行われる、Aに心理的な影響を与える行為であり、「いじめ」に当たると判断できる。

そのツイートに対する「いいね」(②)はどうだろうか。
名誉棄損による法的責任を問う場面で、「いいね」や「リツイート」が持つ意味合いはしばしば問題になる。昨年には、「いいね」が不法行為に当たり損害賠償責任を生じるとする高裁判決(ただし、事例判断である。)もあった。「いいね」は、好意的・肯定的な感情を示すものとして用いられることが多いが、ブックマーク等の目的で使われることもあり、評価が難しい。

しかし、名誉棄損の民事責任を問うのでなく、被害生徒への心理的影響を問題とする「いじめ」の判断の場面なら、単純な話だと考える。自身を中傷する投稿に「いいね」が集まることは、Aへの心理的影響を助長し、ツイートに表示される「いいね」の数を見たAは、より大きな苦痛を受けているものであろうと考えられる。したがって、「いいね」をしたCやDがどのような意図であれ、②も「いじめ」に当たると判断できる。

(事例2)

部活動は、生徒らの自主的活動である。大会での成果を求めたり、競技によってはレギュラー争いがあったりと、向上心を持って競争に励む環境であることが多い。生徒らの身体能力やスポーツ経験の差が現れるところでもある。それゆえ、生徒間に軋轢や行き違いが起きやすい環境である。この事例も、ありがちな話であるが、部員らのやり方には難があり、顧問教員が介入して改善していかなればならない事案であろう。

他の部員がキャッチボールをしている中、Eは、相手が見つからず、寂しく防球ネットにボールを投げる練習をしていたというのであるから、心身の苦痛を感じていると認定できる。
部員らからの聴き取りで、FらはEとキャッチボールをしても練習にならないから避けていた(③)、という事実が確認できれば、Eに対する心理的な影響を与える行為があったと認定でき、③は、「いじめ」と判断できる。
(他方、Eが疎外感を感じていたとしても、たまたまEが溢れただけで、Fらは別に避けているつもりはないと弁解され、これを否定する有力な証言を得られなければ、判断がかなり難しくなる。何をもって、心理的な影響を与える「行為」と特定するかという問題が出るからである。)

(事例3)

教育現場がこの事案を認知すれば、少なくとも、GとHを生徒指導・教育的措置の対象にすべき問題行動が発生したと捉えるだろう。
もっとも、この事案に「いじめ」という言葉を使うのは違和感があるのではないだろうか。

Gが口癖を真似てからかったこと(④)に対して、Hは、暴力で返すほど怒り、裏返せば心身の苦痛を感じている。その後喧嘩(⑤⑥)に発展してGもHも負傷し、1週間ほど痛みが続いたのだから、共に心身の苦痛を感じていると認定できる。
④はHに心理的影響を、⑤⑥は互いに物理的影響を与える行為であることも明らかであるから、④⑤⑥は、すべて「いじめ」に当たる。
そして、Gは④⑥の加害生徒兼⑤⑥の被害生徒、Hは⑤⑥の加害生徒兼④⑥の被害生徒という立場になる。

「いじめ」とは、一方的な行為であることや加害生徒と被害生徒に力関係があることを必要としておらず、相手からの先行行為があったから「いじめ」にならないというものでもない。それゆえ、喧嘩事案は、双方がいじめの被害生徒であり、かつ加害生徒ということになる。

(事例4)

青年期を過ごす学校生活の一幕であるが、「いじめ」事案である。「いじめ」の定義やいじめ防止対策推進法の問題点を指摘する際によく使う事例である。

Iは、Jに交際を断られたり、Kらにも距離を置かれていると感じたりして、学校を欠席するほどショックを受けているのだから、心身の苦痛を感じているのは明らかである。
Jが交際を断ることが(⑦)Iに心理的影響を与えないという人はいないだろう。そして、J、Kらは、Iとの会話や関わりを目に見えて減らした(⑨)という外形的行為があり、LINEでの意思連絡(⑧)の事実も裏付けられているため、⑧⑨もIに心理的影響を与える行為と判断できる。(事例2と同じで、Iが距離を置かれていると感じるだけで、外形的行為が特定できないと判断が難しくなる。)

⑦⑧⑨は、すべて「いじめ」に当たる。なお、下線は引いていないものの、IがJに交際を申し込んだ行為は、Jに心理的影響を与えるものであり、特別な感情を抱いていないIからの告白を断らざるを得ないJは、少なからず心身の苦痛を感じているであろうから、これまた「いじめ」である。

行為が客観的にみて非難されるべきものかは関係なく、受け手の主観だけで「いじめ」か否かが決まるために、「告られて振ったらいじめの加害生徒になる」という非常識な帰結になる。

次回の記事では、いじめ防止対策法と「いじめ」概念を考察し、「いじめ」に対して学校の取るべき義務を抽象的・一般論ベースで検討する。